大洲の旅〜PS.元気です、大洲。〜


いつもはJAスタンプラリーで夏に行く大洲
今年はわたしも大洲も大変だったので、少々遅れ気味



あいたい菜は再開してたけど裏の本屋さんやマクドはまだ閉まってた
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かわいいカラーリング

金魚やメダカは良く見るけど錦鯉売ってるのは初めて見たわw





城方面



前の街並み地区はここでバッテリーが切れたのでw
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今回はがっつりと行きますよ!

水辺が好き

井戸がありました。水出なかったけど。
鯉も泳いでます

マンホールコレクション







大洲は伊予の小京都
白壁の街並みに水路が走ってます

お高そうな料亭もあります





臥龍山荘の入り口

この地を『臥龍』と命名したのは、大洲藩第3代藩主加藤泰恒が「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」ことから名付けたものと言われています。清流肱川湖畔のもっとも優れたこの景勝地に初めて庭園を築いたのは文禄年間、藤堂高虎重臣、渡辺勘兵衛の時代に遡ります。
 その後、この地をこよなく愛した泰恒公は、吉野の桜、龍田の楓を移植し、庭に一層の風致を加えました。その後、歴代藩主の遊賞地でしたが明治以降は補修されることもなく自然荒廃していました。

 現在の山荘は、明治時代に新谷出身の豪商で木蝋貿易に成功した河内寅次郎(常住地:神戸)が、老後の余生をここで過ごしたいと大洲随一の景勝地であるこの地に明治30年頃から10余年をかけて築造した別荘です。寅次郎氏は、明治42年10月に亡くなりますのでここでの居住はごく短期間でありました。寅次郎氏亡き後、養子の陽一氏は一時、弟の上甲文友氏に管理を任せられました。その後昭和20年、戦災のため、陽一氏は大洲に引き揚げてこの地に常住しました。
臥龍山荘公式サイト

沿革



肱川
この川が7月に溢れたって言うんだから……。

写真見て気付いたけどまだ流木が残ってる
前は臥龍山荘から河川敷へ出られたと思うんだけど、今日はカラーコーンでバリケードがしてあり、その先には流れ着いたゴミがたまっていた。


是非紅葉シーズンにどうぞ
もう9年も前の写真ですが


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山を下ってさっきの街並み地区へ戻ります
東京ラブストーリーおはなはんも若い子知ってんのか……?
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お昼はアテにしていたかつれつ亭が閉店してしまってたのでトマオニでー


昼時ドンピシャで入ったのでめっちゃ混んでた
そして後ろの席のおこちゃまがハッピーバースデイであった。おめでとう。

タイトル元ネタ

P.S.元気です、俊平 DVD-BOX

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